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「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

05なんのためにメイクする?

「モテるためのメイク」と
「私らしいメイク」
どう変わった? これからは?

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「派手なメイクだと遊んでそうって言われる」「濃い赤リップは男ウケが悪い」「自分の好きなメイクをしてなにが悪いの?」……どこかで一度は聞いたことがある、いわゆる「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」にまつわる悩み。これって一体、いつの時代から言われはじめたのでしょうか? そこで今回はメイク文化を専門とする甲南女子大学人間科学部文化社会学科の米澤泉先生と一緒に、1980年代から現在までの流行を追いながら、この問題について考えてみました。すると女性の社会での役割とメイクの流行には、密接な関係があることも分かってきました。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
米澤泉教授(人間科学部 文化社会学科)
ファッションやメイク、雑誌、ブランドなど、女子に身近な文化を中心に幅広く研究している。テレビへの出演も多数。代表著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』など。

80年代の日本では
「私らしさ」より
「女らしさ」が大事だった

まず最近の美容ブームについてどのように見ていますか? YoutubeやSNSでメイク動画が配信され、それを参考にするのが主流になってきていますよね。

米澤先生:以前はメイクのHOW TOを知るのは雑誌が主流でしたが、正直、動画の方が圧倒的に分かりやすいですよね(笑)。必然と言える流れかなと思います。SNSの発達によって大きく変わった点としては、“自分も映る側になる可能性がある”ということです。

発信する側と見る側、いつ、どちらに立つか分からないおもしろさは、たしかにSNSならではですね。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

米澤先生:読者モデルなど、今までも一般人がインフルエンサーになることはありました。しかし、ここまで簡単に発信する側になれるのは初めて。それが、現在の美容ブームの加速につながっていると思います。1990年代に、女性の美容・コスメに対する価値観が大きく変わった「第1次コスメブーム」があったのですが、今はそれと匹敵するぐらいの、いわば「第2次コスメブーム」が起きていると思いますね。

第1次コスメブームとは!? その頃いったいなにが起きたのか、すごく気になります。

米澤先生:第1次ブームの前、80年代はコスメよりもファッションへの関心が強かったんです。コムデギャルソンやピンクハウスなど、いわゆるDCブランドが流行し、ファッションで自己表現をするという時代でした。一方で、メイクや髪型というのはそこまで意識されていなくて。みなさんご存知の「バブルメイク」が流行りましたが、髪も染めず、眉もそのままに近いような感じで、実はディテールまで凝ったものではなかったんですね。一番の特徴とされた口紅も、自分の肌や顔に合うかは関係なく、みんな同じブランドのピンク色を同じようにつけていたんです。

自分に似合うか似合わないかは、関係なかったんですか?

米澤先生:当時はその発想がありませんでした。今でこそブルベ、イエベというように、自分の肌に合うのは何色かを意識するようになりましたよね。「自分の肌色や顔に合わせてメイクを変えましょう」というのが定着したんだと思います。「私らしさ」を考えるようになった、ともいえますね。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
80年代に流行した「バブルメイク」を再現。
(メイク協力:HANNA)
「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
「一番の特徴はフューシャピンクの口紅で、Diorなら475、サンローランなら19と流行りの色が具体的に決まっていました。口紅に比べ、アイシャドウやマスカラも、今見ると主張のない無難なものでした。メイクが“細部までこだわるもの”として認識されていなかったんです」

米澤先生:80年代当時は「女は女らしく」「男は男らしく」というのが重要視されていた時代。そんな背景があって、究極の女らしいファッション「ボディコン」が流行りました。女性の体のラインを強調するような服装にワンレンのロングヘア、当時は「男の子は女の子に奢ってあげるのが当然」という価値観でした。

女性とはこういうもの、と決められていたんですね。一方で「バブルの頃に女が強くなった」という言葉も聞いたことがありますが。

米澤先生:それは女らしさという規範の中で強くなっただけといいますか。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性も男性と同じように外で働きましょうといわれるようになりました。けれど総合職で仕事をする女性や、テレビの女性ニュースキャスターは、みんな肩パットの入ったパンツスーツにショートカットという出で立ち。男社会に入っていくためには見た目も男っぽくならないといけないという考えだったんですよ。本当の男女平等からは、まだまだ遠かったんですね。

90年代のメイクブームから
女性は化粧で「自己表現」する時代へ

90年代に入り、おっしゃっていた大きな変化が訪れるわけですよね。

米澤先生:まずは90年代前半に、スーパーモデルブームが起こりました。時代のミューズは、クラウディア・シーファーやナオミ・キャンベルなど、世界で活躍するモデルたち。彼女たちを追いかけているうちに、「服はシンプルでいいから小顔になりたい、小尻になりたい、スタイルがよくなりたい」という思いが強くなり、顔や体をどう見せるかに関心が高まったんです。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
90年代前半に流行した「スーパーモデルメイク」を再現。
(メイク協力:HANNA)
「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
「眉毛の形を細部まで整えるようになったのはこの頃からです。肌も目元も唇も、色味がないのが特徴です。ブランドで言うと、元はバックステージ用の化粧品だったM・A・Cが流行した時代。当時日本ではまだ販売されておらず、海外からで個人輸入するなど、簡単には手に入らないものでした」

服から体そのものへと意識が移ったんですね。

米澤先生:そこから、小顔メイクや髪の毛を茶髪に染めるという文化が出てきたんです。また、同時期に女子高生の中から、「コギャル」や「ガングロ」というスタイルが登場しました。実はそれまで女子高校生というのは、日常的にはお化粧をしなかったんです。

そうなんですか。

米澤先生:したとしても休日に大人っぽい格好をしてみる時の、あくまで身だしなみの一部。コギャルたちは制服姿でミニスカート、自分が女子高生というのも含めてひとつのキャラクターですよね。しかもいわゆる男ウケを完全に無視したメイクというのが新しかった。バブル時代を生きてきた大人からしたら衝撃的ですよね。つまり、彼女たちはメイクで自己表現をするようになったんです。

男性からよく見られるためとは違う目的でメイクをしはじめたんですね。

米澤先生:そういった変化を受けて、メイクをする人口がぐっと増え「お化粧をすること」自体が趣味になるという考えがでてきました。ちょうどその頃「電車の中でお化粧する人が増えた」と問題になったんです。世間では「行儀が悪くなった」「パブリックとプライベートの区別をしなくなった」と批判されて。そういう側面もなくはないですが、それだけ、女性たちが化粧に化粧が単なる身だしなみ以上の価値を強く見出すようになったことの表れではないかと考えています。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
2005年に発売された米澤先生の著書『電車の中で化粧する女たち』では、まさにそのことが書かれた。
「コスメに対しての圧倒的な知識を持ち、コスメフリークと呼ばれるほどにコスメにハマった女性が増加したんです。メイクで自己主張する、なりたい自分になるためにメイクをする、そんな希望が生まれた時代でした」

米澤先生:そういった傾向が加速化され、98年には『VOCE』という化粧専門の情報誌が創刊されました。今まではファッション雑誌の一コーナーだったお化粧というジャンルが、それだけでひとつの雑誌になったんです。

メイクへの関心がいかに高まっていたかを表していますね。

米澤先生:その後、90年代~2000年代にかけて浜崎あゆみというカリスマが現れました。「彼女と同じように目力のある顔になりたい」と、女性の美への思いはよりいっそう過熱していきます。そして同時期に登場したのが「プリクラ(関連記事はこちら)」です。当時は今の写真のように盛る機能がしっかりしておらず、だからこそメイクで目を大きく見せようとしていました。2000年代は「マスカラ戦国時代」と呼ばれるほどに、マスカラの消費量が劇的に増えたと言われています(笑)。

「塗るつけまつげ」が流行った時代ですね。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

米澤先生:そこからはどんどん多様化し移り変わりも激しくなっていくのですが、マツエクやカラコン、アイプチ、アートメイクなどのアイテムや技術が発達し、化粧品という枠以上の技術がたくさん生み出されていきました。

具体的に流行ったメイクとしてはどのようなものが挙げられますか。

米澤先生:2010年あたりからの大きな変化でいうと、韓国人風のメイク、オルチャンメイクでしょうか。私たち日本人はそれまで、なにかと欧米にお手本を求めていたところがあったんですが、それと同じような感じで韓国カルチャーに憧れるようになったのは非常に新しい感覚だなと思います。コスメだけではなく、音楽、食、ファッション……韓国という国の持つ文化、すべてが憧れの対象になり、今でもその流れは続いていますよね。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
2010年頃から人気のオルチャンメイクを再現。
(メイク協力:HANNA)
「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?
「透明感がある肌に、目を横長に見せるアイラインが特徴。韓国では元々の素の姿が良いことを評価する傾向にあります。なのでメイクもあくまで素に近いように見せようとしますし、土台そのものを変えるために、整形をすることにも積極的です」

「女性はなんのために
メイクをするのか」は
江戸時代からの永遠の問い

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

先程のバブル時代やコギャルメイクなどのお話にも出てきましたが、いわゆる「異性に好かれるためのメイク」と「自分のためのメイク」という分け方がありますよね。昔と今で変わってきている点はあるのでしょうか。

米澤先生:「女性はなんのためにメイクをするのか」というのは、いつの時代にもあった問題ですね。実は日本は、世界で一番早く一般庶民がお化粧をはじめた国なんですよ。

そうなんですか! なんとなく海外から入ってきた文化なのかなと思っていました。

米澤先生:江戸時代の終わりに、都市部の一般庶民がおしろいを塗ったり、口紅を塗りはじめたんです。結婚したらお歯黒をするとか、子どもが出来たら眉毛を剃るとか、見た目で身分や自分の立場を表すために用いられるようになりました。「女の人は朝早く起きて身だしなみを整えないといけない」という考えがこの頃から見られるようになったんですね。そのなかに、いわゆる男性に好意を持ってもらうための要素もありました。

江戸時代にすでに「モテメイク」があったということですか。

米澤先生:江戸時代に出版された『都風俗化粧伝』という書籍には「美人になれば認められて玉の輿に乗ることもできる」「この本の通りに化粧すればどんな人でも美人になれる、男の人に選ばれる、だからみんなで綺麗になりましょう」と書かれています。当時は地位のある人に見染められることは女性にとっての出世街道、自分や家族の暮らしのための大きな問題だったんです。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

「モテるとうれしいから」というよりももっと、人生を左右する重要な話だったと。

米澤先生:と言いつつも、流行としてのお化粧も同時に存在していて。たとえば遊女の中で、口紅を何重にも濃く塗って黒っぽい玉虫色にする「笹色紅(ささいろべに)」というのが流行ったんですね。当時、口紅は高級品。黒光りするほどふんだんに使えることが裕福な証でした。

遊女としてのステータスの高さを証明していたんですね。

米澤先生:それを一般の人たちもマネして、けれど自分たちでは口紅が高価でなかなか手に入らないので、墨を塗って代用するのが流行したんです。あとは1950年代後半に真っ赤な口紅が流行するんですが、男の人からは評判が悪くって。偉い評論家の先生が「最近の若い女性は口が歩いているようだ」と批判している雑誌記事が残っています。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

なんだか、いつの時代も変わってないんだなと思わせるエピソードですね(笑)。

米澤先生:つまりはその頃から、女性は化粧の中に「流行を追いたい」という気持ちを持っていたんです。それが時が経つにつれて、強く表に出るようになっていったというだけで。「自分たちの好きなお化粧をして何が悪いの?」というのが、どんどん加速していって、今に至るという。今はファッションでも化粧でも、自分たちの心地良いものを着ようとか、窮屈なものはやめようとか、女性たちがいろんな意味で声を上げる時代になってきていますよね。

2017年に始まったMe Too運動以降は特にその流れを感じますね。米澤先生は、実際に学生さんと毎日接してきて、女性のファッションやメイクの流行の変遷を、ずっと間近で見てきたわけですよね。最近の大学生にはどんな傾向があると思われますか。

米澤先生:正直「傾向がない」というのがいちばんしっくりくる回答かと思います。「誰もが目指すべきスタイル」というのが存在しなくなってきた世代。その背景にあるのは「人はそれぞれ違う価値観を持っている」という考えが浸透してきたことにあると感じます。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

米澤先生:この前のゼミの時に、ある学生がトラ柄の個性的なTシャツを着ていたんです。それをいわゆる女子っぽい、美容などにも関心の高いような学生が「それかわいいね」と褒めていて。自分の基準で「かわいい」「かわいくない」で終わらずに、相手の価値観を尊重している。今の時代を表しているなと思いましたね。

若い世代を中心に、多様性を認め合う時代がきているんですね。

米澤先生:多様性についての考えはより広がっていくと思いますね。海外では多種多様な体型のモデルさんや、ダウン症のモデルさんが美容系の広告に起用されています。ボディポジティブは日本にも広がってきていますね。メイクの世界でも、たとえば花王は美白化粧品とうたわれていた商品に、ホワイトではなくブライトという言葉を使うようになりました。「白が必ずしも良いとは限らない」という意味です。

美への価値観が一辺倒じゃなくなってきたんですね。

米澤先生:今はその過渡期と言えますね。ただひとつの美を追い求めたいという気持ちも存在している。そこで揺れ動いて、苦しくなっている女の子もいるかもしれません。けれどひとつ言えるのは、昔は「モテるためのメイク」と言うと「だれかれ構わず全員から好かれる」というイメージがありましたが、これからは“万人受け”という基準自体がなくなっていくだろうということ。「自分が好きでやっていることを(自分が評価してほしいと思っている人が)共感してくれる」それが理想とされる時代になっていくのでは、と思いますね。

そうなると今後、「モテるのためのメイク」と「自分のためのメイク」というのは、対立するのではなく、どんどん重なり合っていくのかもしれないですね。

「モテるためのメイク」と「私らしいメイク」どう変わった? これからは?

人間科学部 文化社会学科についてはこちら(大学公式サイトへ)

米澤泉教授の教員詳細ページはこちら(大学公式サイトへ)

※記事に記されている所属・役職等は取材時のものです。既に転出・退職している教員、卒業している学生が掲載されている場合があります。

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