ここ数年のあいだに、多くの人に認知されつつある“推し活”という言葉。いまや、誰もが何かを推していると言えるほど、“推し”が指すジャンルも意味合いも、大きな広がりをみせています。この推し活ブームの背景や、なぜ人は推し活をするのかを、ファン研究に造詣の深い、人間科学部文化社会学科の池田太臣教授にお話をお聞きしました。
多様性を持ちはじめた、
現代の推し文化
まずそもそも、「推し」って何なのでしょうか?
池田先生:「推し」には、「○○グループの中での私のイチオシのメンバー」 というような意味があります。はっきりとは言えませんが、2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)内で、モーニング娘。のファンによって使われていたのが始まりではないかと言われています。それが、AKB48の登場で大きく世間に広がりました。AKB界隈の言葉で、「推しメン」というのがあって、メンが取れて「推し」という言葉になった。それを、グループ・事務所・運営といった、いわゆる「公式」が積極的に使うことで、よりいっそう広がっていったと言われています。
※2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)
1999年に開設された、匿名で投稿できる日本最大級の電子掲示板サイト。この中での会話として、オタクによる数多くの略語や専門用語が生まれた。
なるほど、イチオシの「推し」であると。元々はアイドルファン界隈で使われていたんですね。
池田先生:ただ、推しという言葉の対象や意味は変わっていっています。というのも、最近面白い発見があって。元々の起源から考えて、アイドルやYouTuberとか「自分の生活の外にある存在に対して使うもの」と認識していたのですが、ある時、学生に「自分の生活の中にいる対象にも使います」と言われたんです。掘り下げていくと、ある規則性を見つけました。
何でしょうか?
池田先生:推しの対象は大きく2パターンに分けられるなと。ひとつめは、日常生活で見かけるけど繋がり(交流)はない人。たとえば、よく見かけるけど話をしたことがない、憧れの先輩などが挙げられます。ふたつめは、繋がりはあるけれども、恋愛感情のない好きな人。たとえば、いつも好みの服を着ている、お洒落なクラスメイトなどですね。
どちらのパターンも、好きだけど、恋愛ではないということですか?
池田先生:そうです。つまり、推しというのは、基本的には、恋愛感情をうまく避けた好きのあり方ではないかということです。「ガチ恋」や「リア恋(リアコ)」といった言葉が存在すること自体が、「アイドルを好きという気持ち」と「通常の恋愛」とを区別している証拠。そこを混同してしまうと、周囲に引かれてしまう。アイドルが自ら恋愛モードでファンに語りかける時もあるし、ファンがそうすることもありますが、あくまでそれは恋愛ごっこ的な側面が強いと思います。
※ガチ恋
「ガチで恋してる」の略。ファンの域を超え、真剣な恋愛感情を抱いてしまった状況を指す。
※リア恋(リアコ)
「リアルに恋している」の略。ガチ恋と同じ意味で使われる。ガチ恋は男性が女性アイドルなどに恋している様子、リアコは女性が男性アイドルなどに恋している様子を指す場合が多い。
池田先生:でも、そこからまた派生して、別の学生が「『推し』というのは、本当は恋愛的に好きなんだけれども、その感情を隠して『好き』を表現する場合にも使える言葉だ」と言っていて。
ほほう、複雑ですね。
池田先生:人間関係がややこしくなるのを避けるために、「恋愛感情はないですよ」というフリをするためにあえて、推しという言葉を使う。直接的ではありませんが、好きという感情は表現できますよね。もどかしいですけど、言葉にいろんな思惑を込めてコミュニケーションをしているというのは、すごくおもしろい現象です。
ひとくちに推しと言っても、その意味合いは千差万別なんですね。
池田先生:推しを自分の子どものような存在だと言う人もいれば、友達のような存在だと言う人もいる。興味や関心、愛しさなど、あらゆる感情を抱いた対象を、一言で表現するための言葉が「推し」なんですね。
「推し活」は自由に楽しむもの
「推し」について教えていただいたところで、次は「推し活」についてもお聞きしたいです。先生は、推し活って何だと思われますか?
池田先生:基本的には、推しにまつわるコンテンツに対するリアクションのすべてだと考えています。たとえば、お金を使わなくても「寝る前に〇〇さんのことを思って……」というのも、広義では推し活ではないかと。消費活動だけに限定してしまうと、お金を使うことが必須みたいになってしまうので、社会学の立場としてはもっと広い視野で捉えたいと思っています。
池田先生:他にも、ファンの中だけで完結する推し活もありますね。本人不在の誕生日会をしたり、アクスタを持ってカフェに行き写真を撮ったり。ファン同士で独自の楽しみ方をして盛り上がる。そこに必ずしも、推しが直接関わっていなくてもいいんです。
※アクスタ
「アクリルスタンド」の略。推しの人物やキャラクターがアクリル素材の板に印刷されており、台座に立てて飾ることができるグッズ。片手に収まるサイズ感のものが多いため、気軽に持ち運ぶことができる。
推し活って、すごく自由なんですね!
池田先生:それが推し活のいいところなんです。あと、消費の面からも見ると、「応援消費」と言われる推し活もありますね。消費活動は基本的に、自分の欲望を満たすあるいは必要のためにお金を使いますが、推し活ではそこに「応援」という意味が加わるんです。
池田先生:代表的なのはAKB48の総選挙でしょうか。CDを買うという行為に応援という意味付けがなされたんですね。CDは本来の「音楽を伝達する」という目的だけだと、1枚買えば終わる。でも応援という意味が加わった場合には、 終わりがない。「応援」と「自分の欲望を満たす」ことがうまくマッチするわけです。単に「自分が好きでモノを集めています」ということだけではなく、何らかの役に立っているという感覚。しかもそこに泣いたり、感動したりといったドラマがある。
一体感がありますよね。ファンも一緒に頑張った! みたいな。充実感と達成感も得られるし、当時ファンが総選挙に熱狂していたのもわかります。
ファン行動の可視化が
「推し」や「推し活」を
広めていった
AKB48が推しという言葉を広げたにせよ、ここまでフランクに「推し」や「推し活」について語られるようになったのは、他にも何か要因があったのでしょうか?
池田先生:SNSの普及も大きいと考えられますね。SNSを使って推しへの愛をアウトプットできるようになり、その発信が、オタクの外側にいた人間からすると新鮮でおもしろいものに映った。SNSの言葉は日常言語と書き言葉の中間のような要素があり、感情をそのまま露出するような面があるので、オタク言葉と相性が良かったのかもしれませんね。
いわゆる、「オタク構文」的なものでしょうか?
※オタク構文
オタクが使いがちな文の構造。独特な言い回しが特徴で、大げさな表現を用いることが多い。SNS投稿や動画コメントでよく見られる。
池田先生:そうですね。今、オタク構文をテーマに卒論を書いている学生がいますが、非常に興味深いです。愛しさや尊さがいっぱいいっぱいになると「待って」「無理」という風に言葉を極端に絞ったり、「5万回いいねした」という風に極端な数字で表現したり。
それまで内輪だけで盛り上がっていたのが、SNSを通じて表に出ることで、知らない人が見て「なんか楽しそう」と思うようになったんですね。
池田先生:そう、「ファン行動が可視化されるようになった」というのがポイントですね。たとえばテレビでも、タレントの中川翔子さんが自分のアニメ好きを公言していったように、メディア全般で自分の好きなものを発信する人が増えていきました。しかもアンダーグラウンドな雰囲気もなく、明るく楽しく発信されている。
たしかに、今の推し活ってキラキラとした雰囲気をまとっていて、昔のオタクイメージと違う空気感があります。
池田先生:話題になってトレンドにあがることで、知らない人がまた新しい扉を開くきっかけになっていく。そうやって、ファン行動が世間に許容されるようになっていったと考えられます。さらに、テレビの中のスターが中心とされる時代は変わり、 自分に合ったそれぞれのメディアの中で、インフルエンサーが発信をおこなっていくようになった。そういったコンテンツの多さが、多種多様な推し活をさらに進めています。
推しと自分=新しい人間関係である
池田先生:推しについて考えることは、「人間関係とは何か」という話にも繋がります。推しと自分の関係=新しい人間関係だと言えるのではと、私は考えています。
新しい人間関係とは、どういうことでしょうか?
池田先生:以前まで、親密な気持ちというのは、家族や恋人など、特定の者だけに持つ感情とされていました。それが時代によって、昔のような濃密な人間関係がだんだん薄まっていく中で、別の場所(=推しという存在)に、それを求めているのではないかということです。強度はそれぞれですが、親密な気持ちを預けることができる対象の幅が広くなっていると推測しています。ペットが家族として受け入れられるようになってきたことにも、似た部分がありますね。
会ったことがなくても、自分の築いた人間関係と言えるということですか?
池田先生:推しによって、「ひとりではない」という感情を持てている人が多くいます。面識はないし、何の繋がりもないけれども、その人に支えられているという感覚。そういう意味でリアルな人間関係のひとつと言っても良いのではないかと思いますね。
池田先生:ただこれは、学生への問題提起でもあって。推しとは一方的なものなのか、大事な人間関係のひとつだと思うのか。また、そう思うのはなぜなのか。自分なりの答えを出してもらうのが、私の授業の一環でもあります。授業内でテーマを考えてもらって、それぞれに論文を書いてもらう時も、「自分はなぜそれが好きなのか」という問いまで、立ち戻って考えてほしいなと。
突き詰めて自分のことを考えるきっかけにもなっているんですね。
池田先生:社会学では、人と人とが何かしらのアクションをもって関わり合うこと、心理的な影響を与え合うことを相互作用と言います。しかし、何をもって本当に相互作用と言えるのか、それを決めるのは難しい。たとえば、今こうやって話しているのも、勝手にイメージをつくって、こう喋るのが良いはずだとか、お互いに妄想してやっているだけとも考えられるんです。それは、メディアの向こう側に対する人に、勝手なイメージを持っている状態とかなり近い。これは、コロナ後のコミュニケーションの疑問にも繋がっていきます。
どういった疑問ですか?
池田先生:コロナの流行によって、多くのコミュニケーションはネットワークで代替することが可能だとわかってしまった。けれどやっぱり、Zoom(Web会議システム)などのオンラインツールだけで出会って会話して、一度も会わずに結婚することはないし、企業面接も最後は対面しますよね。つまり、直接会わなければ満たされない、何かがある。とすればそれは何なのかと。
実際に会う方が、お金も時間もかかるのに、ですよね。
池田先生:そう。さらに、コロナの感染リスクも上がるのに。「『会う』ことの必要性って何だ?」というのが、全世界に問いかけられている。そうやって対面の意味を考えた時に、推しとの人間関係って何なんだろうと考えることにもまた、結びついてくる。アイドルオタクもジャニーズファンも、現地のコンサートに行きたい。なぜかというと、ファンサやレスという形で見返されることがある。そしてそこに、何ものにも代え難い充実した瞬間があるんです。でもその体験って何なのだろうと。それをもっともっと学生たちと一緒に考えてみたいと思っています。推しに関しては、学生たちの方が詳しいですから。
※ファンサ
「ファンサービス」の略。アイドルやアーティストなどが、ファンに向かって手を振ったりウインクしたりする振る舞いのこと。
※レス
「レスポンス」の略。アイドルやアーティストなどから、目線をもらったり指をさされたり、個別に何かしらのリアクションをもらうこと。
それでは、最後に改めてお聞きしたいのですが、なぜ人は推し活をするのでしょうか?
池田先生:強い熱意を持って推し活をするという行動の根底には、「自分の生活を自分のものにしたい」という思いがあると考えています。生活というのは、ある程度外から決められてしまう側面がある。朝起きて、仕事や学校に行って、帰ってと、「やらなくてはいけないこと」が生活の大部分にあるけれど、そうじゃない部分によって、「自分らしい」生活を作りあげていく。自分の生活の中に自分で決定できる世界があるんだと、自分らしさを求める場所として推し活が求められているのではないかと思います。
推し活をすることが、他力じゃなくて自分がしたいように生きているという証であると。
池田先生:そうです。単純な話で、大学行ってバイト行って、疲れた〜ってそのまま寝るより、ちょっとでも推しの動画を見て幸せな気持ちで寝たほうが、人生豊かになるじゃないですか。だから、自分の世界のひとつとして(あくまで「ひとつ」ですが)、「推しのいる世界」を生きることが求められているんじゃないでしょうか。
人間科学部 文化社会学科についてはこちら(大学公式サイトへ)
池田太臣教授の教員詳細ページはこちら(大学公式サイトへ)
※記事に記されている所属・役職等は取材時のものです。既に転出・退職している教員、卒業している学生が掲載されている場合があります。
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