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六甲高山植物園で辿る、牧野富太郎と神戸の25年間

14植物の世界へようこそ

六甲高山植物園で辿る、
牧野富太郎と神戸の25年間

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日本の植物学の歴史において、欠かせない人物をご存知でしょうか。その名は、牧野富太郎(1862-1957)。2023年NHKの朝ドラ「らんまん」で注目の植物学者です。

日本の植生を解明し1500種以上もの植物に学名をつけるなど大きな功績を残し「日本の植物分類学の父」と称えられた一方で、研究にのめり込むあまり莫大な借金を重ねるなど奇想天外な人物として知られています。

高知で生まれ、主に東京を拠点として研究を続けた牧野富太郎ですが、実は25年間ものあいだ神戸に通い続けた時期があったのです。1933年に開園した六甲高山植物園には、明けても暮れても植物とともにあった牧野富太郎の足跡が残されていました。

※植物の開花状況は、取材を行った4月下旬時点のものになります。

牧野富太郎ゆかりの
六甲高山植物園へ行ってみた!

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今回、六甲高山植物園の見学に参加してくれたのは、生活環境学科の「植物ゼミ」に所属する3年生。左からH.Kさん、H.Fさん、M.Yさん。
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そして、「植物ゼミ」を担当する松村俊和先生にも同行いただいた。ゼミでは植物をはじめとして自然環境と人との関わり方について考え、活動の一環としてハーブなどの植物を栽培したり、学内の里山を散策したりすることもあるそう。

みなさんは元々植物に興味があって「植物ゼミ」に入られたんですか?

H.Kさん:そうです。我が家ではイチゴとかブルーベリーとか食べられる植物をよく育てていて。小さい頃から関わりのある植物についてもっと知れたらいいなと思って植物ゼミに入りました。

H.Fさん:私も家族が植物を育てていて身近だったっていうのと、甲南女子大学内にも植物が多いので、詳しくなりたいなと思って入りました。

M.Yさん:私はゴルフをするのですが、コースを回るときに生えている植物が自分で分かるようになれば楽しそうだなと思って選びました。

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六甲ケーブル下駅から、ケーブルカーとバスに揺られて海抜865mにある六甲高山植物園へ。
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六甲ケーブル下駅から六甲山上駅までは、高低差493.3mを約10分かけて登っていく。

M.YさんとH.Kさんは神戸出身なんですね。六甲山はどんな存在ですか?

M.Yさん:私は小学校の遠足で登ったことがあって懐かしいです。

H.Kさん:私も遠足などで何度か登っていて身近な存在です。でも植物園は初めてなので今日は楽しみにしています。

牧野富太郎についてはご存知でしたか?

3人:知りませんでした(笑)。

松村先生:私は存じ上げています。牧野富太郎と神戸との繋がりのエピソードもいくつか知っているのですが、そのひとつとして、彼が神戸に来たとき、六甲山が禿山でびっくりしたということを書き残しているんですよ。今は豊かな緑に覆われていますが、当時は薪や炭に使うために伐採していたから山肌が見えていて、山が白かったそうです。

H.Fさん:緑じゃない六甲山なんて想像がつかないです。

松村先生:その後植林されて、今のような緑を取り戻したんですよ。

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ケーブルカーの窓からは新緑の山並みと港町神戸らしい景色が広がる。

六甲高山植物園に到着。冷涼な環境を生かした六甲高山植物園は、標高の高い場所でしか育たない貴重な高山植物が見られるため全国からファンが訪れます。そんな同園と牧野富太郎のつながりは? 教えてくれたのは、同園の学芸員で現在開催中の「牧野富太郎の足あと〜神戸で見つける博士と植物」展(2023年8月15日まで開催)の企画に携わった三津山咲子さんです。

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園内を案内してくださった三津山さんは、六甲高山植物園で長年勤務しているベテラン職員。大学卒業後、営業広報を担当し、その後植栽管理を担当している。

三津山さん:牧野富太郎は高知で生まれ、94年という一生涯をかけて植物分類学の研究に打ち込んだ人でした。そんな彼の生涯の中でもあまり知られていないのですが、「神戸時代」と呼ばれる25年間があったんです。そのはじまりは、54歳のとき。彼は植物について調べるために高価な専門書を買い集めるなどして、当時のお金で3万円、現在の価値に換算すると1億円ほどの借金を抱えて困窮していました。

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三津山さん:そのお金を返済するために、長年にわたって採集した10万点もの植物標本を売るという話が新聞記事に出たところ、国の宝を散逸させてはいけないと支援を名乗り出てくれた人がいたんです。それが、神戸の資産家で当時まだ25歳の学生だった池長孟(いけながはじめ)でした。支援の条件に、神戸の会下山にある正元館(注:現在の会下山小公園)に標本を保管して植物研究所を設立することや、毎月1回神戸に通って研究することなどがあったんですよ。

M.Yさん:ここにも来たことがあるんですか?

三津山さん:日記などから少なくとも3回は当園に来たことが記されていて、写真も残っています。実際にはもっと来ていたという話も伝わっています。展示室には神戸と牧野富太郎の関わりが分かる写真や手紙もありますよ。

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展示室の入り口横には弟子や支援者と共に過ごした神戸時代の写真が展示されていた。
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1940(昭和15)年6月30日、六甲高山植物園での牧野富太郎(78歳)の講話の様子。

克明に描かれた
植物図の美しさにびっくり!

三津山さん:牧野富太郎は神戸時代、六甲山や有馬の他にも氷ノ山や鉢伏などへも足を延ばしていて、植物採集をするだけでなく訪れた先で書を残したり講話を行ったりしています。そして採集した植物の絵も描いていて、1つの植物に対して、花期、果実期など成長段階別に、複数の個体を描き残しています。その絵はどれも、まるで顕微鏡で見たみたいに緻密に描かれていて、当時は海外の学者も絶賛するほどでした。この植物図は「牧野式植物図」と呼ばれています。

今回展示している『大日本植物志』は明治33年に発行されたもので、この制作に力を入れていた牧野富太郎は、発行も自身で行おうと考え、当時の印刷方法である「石版印刷」の技術を印刷屋さんに通い習得したそうです。こちらには「サクユリ」の絵などが掲載されています。

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牧野富太郎が描いた「サクユリ」の図。

H.Kさん:すごく細かなところまで描いてあるんですね。これは何で描いているんですか?

三津山さん:ネズミの毛3本だけで描いています。ルーペで見て描いていたそうですよ。

M.Yさん:観察力がすごいですね……。

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根や産毛など細部まで描かれた植物図に見入る3人。「どうしてネズミの毛だったんだろう…?」
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貴重な『大日本植物志』の原本。1つの植物がさまざまな角度から正確に描かれている。

三津山さん:牧野富太郎は書もたくさん残しています。今回展示している『結網(けつもう)帖』は彼が親しい人に送った色紙をまとめたものです。

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雨煙ふる六甲山に
登り来て
六甲藤を
採るその嬉しき
牧野結網

三津山さん:結網というのは牧野富太郎が生涯名乗っていた別名で、ここに展示している全ての書に牧野結網と書かれています。この別名は有名な漢詩に由来していて、“魚の淵に臨んで魚が欲しいと羨むよりも、自分は網を結う”という意味があり、ただ見て終わるのではなく、体を動かしてとりにゆく、という常に実践の人であった彼を表した名前になっています。

H.Fさん:文字も上手。達筆だったんですね。

三津山さん:そうですね。牧野富太郎は小学校を途中で辞めたとよく言われますが、実際には寺子屋や私塾に通っていて一流の先生から漢詩はもちろん英語も学んでいるエリートです。英語やラテン語で論文を書けないと認められませんからね。

H.Kさん:絵も勉強していたんですか?

三津山さん:全て独学です。もともと上手かったのが、イギリスの王立植物園キューガーデンに残っているような一流の植物画、例えばフィッチの作品などを見たことで一気に上達したようです。

絵が上手くて1500種以上の植物に名前をつけたこと以外に、彼は多くのお弟子さんを育てていて、特に神戸では教育普及という面でも大きな功績を残しています。ちなみに当園のロックガーデンにあるハイマツは、牧野富太郎のお弟子さんだった灘校教諭の川崎正悦(かわさきまさよし)氏の遺品を、神戸山草会初代会⾧が譲り受けた鉢を寄付いただいたものなんですよ。

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ハイマツ(這松)の名前の由来は這うように広がることから。森林限界と言われる高山帯に自生している植物。

三津山さん:また、今回の展示では日下久悦(くさかきゅうえつ)という、お弟子さんというか歳の離れた友達のような存在だった方の展示も多くあります。実はこの日下さんという方は、これまでの資料でお名前は出ていたのですが、どんな関わりがあった人物かは明らかではありませんでした。しかし今回、ご家族から手紙などをお借りすることができ、神戸時代の牧野富太郎との関わりなどいろんなことが分かりました。

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日下久悦氏宛の手紙には、日下家でご馳走になった松茸や牛肉が「とても美味しかった」などと記されている。食いしん坊な一面を覗かせる内容に思わず笑みが溢れる。
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晩年、東京に住む牧野富太郎は「六甲藤を送ってほしい」と日下久悦氏に依頼していた。手紙からは、六甲藤は新種ではないかという思いがずっと心の中にあったことがうかがえる。

園内で牧野富太郎ゆかりの
植物を発見!

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三津山さん:では、そろそろ園内を見てまわりましょうか。牧野富太郎は生涯バイカオウレンの花を愛したことで知られています。現在六甲高山植物園で見られるバイカオウレンは、先ほどお話した牧野富太郎のお弟子さん、川崎正悦が所有していたハイマツの鉢に咲いていたものです。それを当園が譲り受けて移植し、約50年の時を経て日本有数の規模を誇る植栽面積になりました。真冬の2月に見頃を迎えるんですが、梅に似た白い花が咲くと春の訪れを感じますね。

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バイカオウレン(梅花黄蓮)は2月下旬ごろになると1.5cmほどの可憐な白い花を咲かせる。
写真提供(上・下):六甲高山植物園

松村先生:満開の時期にまた訪れてみたいですね。

三津山さん:バイカオウレンは牧野富太郎の命名ではありませんが、実際に彼が命名した植物は小さくて見落としてしまいそうなものが多くあります。ここに咲いているシハイスミレもそのひとつです。

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シハイスミレ(紫背菫)は、葉の裏が紫色を帯びていることからの命名。よく似たマキノスミレはシハイスミレの変種だとか。

M.Yさん:よほど注意深く観察していないと、他のスミレとの違いが分からないですね。

三津山さん:見分けるのは難しいでしょうね。他に牧野富太郎にゆかりのある植物の中にはアリマウマノスズクサという植物もあります。オオバウマノスズクサに似た植物ですが、神戸の有馬温泉に近い五社のあたりで見つけたのでアリマの名前をつけています。6月頃になると咲き始めます。

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アリマウマノスズクサ(有馬馬鈴草)は、牧野富太郎がつけた和名。花には花弁がなく、長いガクがラッパ状になった、ユニークな形をしている。
写真提供:六甲高山植物園
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現在六甲高山植物園では、牧野富太郎ゆかりの植物を巡ることができるスタンプラリーも実施中。牧野式植物図と解説が展示されており、園内を散策しながら植物について学ぶことができる。(2023年8月15日まで開催)

個性を知れば知るほど
もっと植物について
知りたくなった!

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三津山さん:みなさんはどんな植物に興味がありますか?

H.Kさん:私は六甲高山植物園のInstagramで見たサンカヨウが綺麗で感動しました。

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三津山さん:“ガラス細工”の花ですね。今日はお天気が良いので通常の白い花びらですが、大雨のあとは花びらが透明になるのでとても人気がある花なんですよ。

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春に白い花をつけるサンカヨウ(山荷葉)。一晩中雨に打たれて花びらが透明になる様がまるでガラス細工のようで、遠方から写真を撮りに訪れる方もいるそう。
写真提供:六甲高山植物園

H.Kさん:なぜ雨に濡れると透明になって、また戻るんですか?

三津山さん:簡単に説明すると白いTシャツが濡れると肌が透けて見えるのと同じです。乾いたらまた白くなりますよね。

H.Kさん:なるほど……! どのくらいの雨が降るとガラス細工のようになるんですか?

三津山さん:ジョウロやホースで水をかけたくらいでは変化しません。やはり一晩中しっかりと雨が降らないとダメみたいです。

H.Kさん:じゃあ次は雨が降ったあとに見に来ないといけないですね。

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M.Yさん:私はニリンソウが気になっていました。花って普通一輪のイメージだけど、ニリンソウは名前の通り花が二輪生えているのかどうかを確かめてみたくて。実際に見たけど、本当に一つの茎から二輪の花が咲いているんですね。

三津山さん:そうなんです、おもしろいですよね。ちなみにニリンソウは東北では山菜として食べられているんですよ。ただ猛毒のトリカブトと葉が非常に似ていて、誤って食べて食中毒を起こしたり、最悪の場合亡くなったりするケースもあるので注意が必要なんです。

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ハシリドコロ(走野老)と並んで日本の二大毒草として知られるトリカブト(鳥兜)。
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トリカブトもニリンソウ(二輪草)もキンポウゲ科の植物で葉がよく似ている。

M.Yさん:それは怖いですね……! 見分ける方法はあるんでしょうか?

三津山さん:若葉の頃は非常に似ていますが、トリカブトは紫の花が秋に咲くのに対して、ニリンソウは春に白い花が二輪ずつ咲きます。ですから、白い花が咲いてから採れば間違うことはありません。

松村先生:植物によって根だけに毒があるものもありますが、トリカブトは全草有毒ですから特に注意が必要ですね。

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六甲高山植物園で辿る、牧野富太郎と神戸の25年間
花びらの形状が特徴的なイカリソウ(錨草)。新緑の季節とともに、白やピンク、赤紫、黄色などさまざまな色の花が咲き、種類も豊富。
写真提供(下・キバナイカリソウ):六甲高山植物園

H.Fさん:私はイカリソウのユニークな形が気になっています。種類によって形も少しずつ異なっているんですね。

三津山さん:船のイカリのような形をしているのでイカリソウという名前ですね。生薬として使われることもあるんですよ。

H.Fさん:何気なく咲いている草花が薬になったり毒だったり、秘めた力を持っていて面白いですね。

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ひときわ目を引く形のユキモチソウ(雪餅草)。環境省のレッドリストで絶滅危惧II類に指定されている植物だが、園内の至る所で見ることができた。
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園内で見つけた学生たちのお気に入りは、ヒダカミセバヤ(日高見せばや)。一見花のように見えるのは葉っぱで、赤紫色の花が咲く。「ミセバヤ」は「誰かに見せたいほど美しい」という意味にちなんだ名前とか。

私たちの暮らしと
植物の関わりを知る
きっかけに

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今回は六甲高山植物園で牧野富太郎の足跡やその功績などに触れていただきましたが、みなさんは何が一番印象に残りましたか?

H.Kさん:私は絵が苦手なので、牧野富太郎がネズミの毛3本であんな繊細な絵を描いていたことに感動しました。多分今よりも道具などに恵まれていなかったと思うので、余計にすごいなと思いました。

M.Yさん:植物に対しての熱量の大きさにも驚きました。晩年、山を歩けなくなってからも六甲藤を送ってほしいと手紙を出していたり、本当に亡くなる直前まで植物の研究に力を注いでいた方なのだと分かりました。

H.Fさん:それでいて、展示されていた写真のどれも笑顔が素晴らしくて。写真からも研究が楽しくて仕方なかったんだなということが伝わってきました。牧野富太郎という人物にも興味が湧きました。

松村先生:H.Fさんの言う通り、楽しく取り組むというのは、研究をする姿勢として大事なことだと思います。牧野富太郎の足跡に触れることで、それを再確認できました。

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年賀状にも、楽しそうに笑う牧野富太郎の姿が写る。

六甲高山植物園はいかがでしたか?

H.Fさん:知らない植物のことを知ることができて楽しかったです。今日は春に咲く花をたくさん見ることができましたが、他の季節にはもっとどんな花が咲くのか気になってきました。初めはほんの少しだったバイカオウレンの花が50年で群生地になったことにも驚きました。

M.Yさん:ニリンソウは食べられるのに、似ているトリカブトには毒があるとか、イカリソウが薬草だとか、植物によって薬や毒になるものがあるということに興味が湧きました。私たちにとって役に立つ植物についてもっと知りたいと思うようになりました。

H.Kさん:私は犬と鳥を飼っているのですが、植物と動物の関わりについてもっと知りたくなりました。植物が動物にどんな影響を与えるのか、今後の研究テーマにしたいです。

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寒冷地でしか生息できない高山植物を自然に近い形で栽培、観賞するために整備されているロックガーデン。
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ロックガーデンは高山帯の岩場の風景を再現し、水はけや通気性に配慮されているのが特徴で、ヒマラヤの青いケシをはじめとする人気の花を見ることができる。
写真提供:六甲高山植物園

三津山さん:今後温暖化が進み環境が変わると、特に高山帯の植物は生きていけなくなる可能性が高まります。そうなると人間への影響も出てきますから、環境問題についても考えるきっかけにしてもらえるといいですね。園内は季節によって全然違う花が咲きますから、ぜひまた違う季節にも遊びに来てくださいね。

本日はありがとうございました!

【おまけ】
牧野富太郎について
気になったあなたに
おすすめの1冊

六甲高山植物園で辿る、牧野富太郎と神戸の25年間
『ボタニカ』/著:朝井まかて/祥伝社

本学の卒業生で直木賞作家・朝井まかてさんの『ボタニカ』(祥伝社)は、牧野富太郎がモデルの長編小説。土佐に生まれた少年が植物の世界に夢中になり、苦難を乗り越えて稀代の植物学者となる波乱万丈の人生が描かれています。牧野富太郎という人物に興味が湧いたら、ぜひ読んでみてくださいね。

『ボタニカ』特設サイト:https://www.shodensha.co.jp/botanica/

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人間科学部 生活環境学科についてはこちら(大学公式サイトへ)

松村俊和教授の教員詳細ページはこちら(大学公式サイトへ)

六甲高山植物園

兵庫県神戸市灘区六甲山町北六甲4512-150

開園時間:10:00~17:00 (16:30受付終了)※イベント開催時は延長の場合有

HP:https://www.rokkosan.com/hana/

Instagram:https://www.instagram.com/rokko_alpine_botanicalgarden/

Twitter:https://twitter.com/rokkoalpine

※季節によって休園日が異なりますので、詳しくは公式HPをご確認ください。

※記事に記されている所属・役職等は取材時のものです。既に転出・退職している教員、卒業している学生が掲載されている場合があります。

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