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大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶

20阪神・淡路大震災を経験していないあなたへ

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶

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今年1月17日で、阪神・淡路大震災の発生から30年を迎えます。
被災地・神戸にキャンパスを構え、被災経験もある甲南女子大学では、この節目を迎えるにあたって、2024年4月から芦屋市と共同でプロジェクトを始動。文学部日本語日本文化学科の有志メンバーが、当時の記憶や経験をどのように後世に『つなぎ、伝える』のかをテーマに、「阪神・淡路大震災30年特別番組制作プロジェクト」を進めてきました。
このプロジェクトでは、阪神・淡路大震災を経験した多くの方々に取材を行い、さらに2024年の能登半島地震で被災した珠洲(すず)市でも活動を展開。今回は、このプロジェクトに参加した3名の学生に、活動を通じて感じたことや学んだことについて、お話を聞きました。
震災で得た教訓を次の世代へつなぐためには、どうすればいいのか──。みなさんも、自分にできることを考えながら、最後まで読んでみてください。

阪神・淡路大震災を知らない世代が、
バトンをつなぐ意味。

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶
全7名のプロジェクトメンバーのなかから取材に参加してくださった、日本語日本文化学科の3年生3名。(左から)J・Kさん(台湾出身)、M・Kさん(藤蔭高等学校出身)、S・Nさん(伊丹市立伊丹高等学校出身)。
日本語日本文化学科では、アナウンス指導にも力を入れており、授業で芦屋市のケーブルテレビの番組アナウンスに参加していたことがきっかけで、今回の番組制作プロジェクトがはじまりました。

今回の「阪神淡路大震災30年特別番組制作プロジェクト」は、すでに芦屋市の広報番組「あしやトライあんぐる」などでもその活動が放送されていますね。 YouTubeでも視聴できるので、ぜひ多くの人に観ていただきたいですが(番組の視聴はこちらから)、まずは、みなさんが今回のプロジェクトに参加した理由について教えてください。

M・Kさん:阪神・淡路大震災については教科書やニュース番組で得た知識くらいしかなかったんですが、なんとなく他人事とは思えないと感じていました。というのも、私の出身地である九州では豪雨災害が頻発しているのですが、家族や友人たちと話していても、慣れのせいなのか、危機感が低いように感じていたんです。その意識を変えるためにも、まずこのプロジェクトを通して防災について学び、みんなに伝えられたらいいなと思って参加することにしました。

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶

S・Nさん:私のきっかけは2024年1月に発生した能登半島地震でした。「災害はいつ起こるかわからない。防災への意識を高めておかなければ」と考えながら、でも何をしたらいいのだろうともやもやしているときに、ちょうど今回のプロジェクトについて知ったんです。きっと私と同じように感じている同世代の人は多いはずで、そういう人たちに情報を発信できたらいいなと思い、参加を決めました。

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J・Kさん:私は台湾からの留学生なのですが、台湾は世界の地震の70%以上が起こる環太平洋地震帯に位置していて、2024年4月に花蓮地震が発生するなど、日本と同様、地震が活発な地域なんです。日本と台湾は地形が似ていますし、お互いに学び合える点がきっと多い。そう考えて、このプロジェクトに参加しました。あと、私は今、芦屋市に住んでいるので、芦屋市の防災対策について学びたい、という気持ちもありました。

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶

なるほど、三者三様に災害や防災に対して関心や意識をもっていたのですね。今回のプロジェクトでは3つのチームに分かれて活動されたそうですが、それぞれの活動内容を教えてもらえますか?

M・Kさん:私が参加したチームは「baton+n future(バトン・フューチャー)」という名前で、障がいと災害をテーマに活動しました。私も含めチームメンバーはこれまで障がいのある人とかかわる機会がなくて、「災害が起きたときにはどうしてるのだろう」「どのようにしてお声がけや手助けをしたらいいのだろう」「私たちにできること、手助けできることはあるのかな」と考えました。そこで、福祉の観点から障がいのある人と震災のかかわり方について学んでいくことにしました。

S・Nさん:私が参加したのは、震災時における女性の問題を考える「キュアセーフティ」です。「女子大という特性が活かせるテーマを」と考えたのも理由のひとつですが、なにより大きかったのは、避難所での性被害やプライバシーの問題、生理用品の不足など、災害時には女性にかんする課題が山積していること。そこで「女性の防災リーダーを増やしたい」という思いから、このテーマで活動することになりました。

J・Kさん:私の活動は「GOOD GOODS」という名前で、「GOODS」とあるように防災・減災のための商品開発をテーマにしました。今は、在宅避難について楽しく学ぶことができることをコンセプトにしたクイズ形式のカードゲームを開発することを目指しています。

「助けて」と遠慮なく言える環境をつくるために。

では、それぞれのチームの活動について詳しく聞いていきたいのですが、M・Kさんが参加した「baton+n future」では、どんな活動を行ったのでしょう?

M・Kさん:障がいを持つ方とそのご家族、さらに障がいのある方々の支援に携わる芦屋市社会福祉協議会や「三田谷治療教育院」さんで阪神・淡路大震災の経験についてインタビューを行いました。
また、2024年9月には石川県珠洲市の、知的障がいと精神障がいがある方への支援を行っている施設「すず椿」さんや、特別養護老人ホームの「長寿苑」さんに伺い、能登半島地震のことや災害時の対応などについてお話を聞かせていただきました。

 

珠洲市は震災の傷跡がまだまだ生々しい状況で、お話を聞くことにとても緊張していたのですが、「すず椿」さんに伺ったとき、理事長さんが「ウェルカム!」と大きな声で迎えてくださったんです。それですっかり気持ちがほぐれました。芦屋市でも珠洲市でも、みなさん本当に真剣にお話を聞かせてくださって、ありがたかったです。

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶
大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶
珠洲市での取材の様子

いろんな方々にインタビューされたんですね。実際に話を聞いてみて、どんな発見がありましたか?

M・Kさん:たとえば避難所では、仮設トイレが狭くて車椅子の方がトイレを利用するのが大変だったり、トイレに行くまでのサポートが受けられなくて動けなかったというお話を伺いました。あと、聴覚障がいがある方が館内放送を聞くことができず、情報を得られなかったためにご飯が食べられないことがあったなど、問題がたくさんあることを知りました。

阪神・淡路大震災から30年が経ちますが、たしかに避難所での障がいがある方へのサポート体制はいまだ整っているとは言い難いですよね……。

M・Kさん:そうですね。阪神・淡路大震災を経験された芦屋市社会福祉協議会の三好学さんは、“震災が起こったときは障がいのある方に情報を伝えることだけでもありがたい”といったお話をしてくださいました。「ここに逃げたら安全ですよ」とか「あの場所に物資が届いていますよ」とか、そういった情報を伝えることは私たちにでもできる。そんな大切なことを教えていただきました。
また、同じく阪神・淡路大震災を経験された「三田谷治療教育院」の理事長である堺孰さんは、日頃から一緒に食べたり飲んだりしてコミュニケーションをはかり、困ったときにも助け合える関係をつくっておくことの重要性を教えてくださいました。

情報を伝えることもコミュニケーションですもんね。

M・Kさん:こうして芦屋市で「コミュニケーションが大事」だと学んだあと、珠洲市の「すず椿」さんでは、強く心に刻まれることになるお話を伺うことができました。それは、「困ったことはないですか?」と聞かれた際に「温かいお弁当が食べたい」と伝えたことによって、それが叶ったというお話です。
困ったときって「迷惑をかけちゃうかも」とか「何か恩返ししなきゃいけないんじゃないか」とか考えてしまって、「助けて」と言えない人は多いと思います。でも、このお話を聞いて、困ったときは遠慮せずに気持ちを伝えればいいんだということを学びました。遠慮しない、素直な気持ちを伝えるコミュニケーションの大切さに気づくことができたんです。

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障がいの有無にかかわらず、とても大事なことですね。

M・Kさん:はい。でも、障がいを持っている方が「助けて」と遠慮なく言える環境をつくるためにも、私たちから行動し、声をかけ合うコミュニケーションを平時からとっておく。そのことがとても大事だという答えにたどり着くことができました。

石川県珠洲市の避難所で見えてきた課題。

S・Nさんが参加した「キュアセーフティ」では、どういったところに取材をされたのでしょう?

S・Nさん:まず、防災について幅広く教えてくださったのが、兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科の松川杏寧先生。次に「女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ」代表の正井禮子さんには阪神・淡路大震災当時の女性に関する問題を、甲南女子大でも授業をしてくださっている読売テレビのプロデューサー・堀川雅子さんには取材時の心得を教えていただき、それらをふまえたうえで珠洲市に赴きました。

珠洲市でも取材をされたんですね。

S・Nさん:はい。珠洲市の泉谷満寿裕市長と吉木充弘教育長にもお話を伺いました。なかでも私たちのチームが珠洲市で重きを置いたのが仮設住宅でのボランティア活動です。ハンドトリートメントというマッサージを行いながら、避難所生活を余儀なくされている被災された方々の困りごとなどをお聞きできたら……と思い実施しました。
さらに、能登半島地震をきっかけに結成された女性団体である「フラはなの会」の山口代表にもお話を聞くことができました。

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珠洲市でおこなったハンドトリートメント

取材を通して、災害時に女性に起こる問題として見えてきたものはどんなことでしたか?

S・Nさん: 最初は性被害やプライバシー、生理や衛生面などが主な問題だと思っていたんですが、「フラはなの会」の山口さんに能登半島地震で女性が困った問題はどんなものだったのかを聞いた際、出てきたのが、避難所でのケア労働の偏りについてでした。
たとえば炊き出しを行うのはほとんど女性で、1日7時間くらい立ちっぱなしで炊事を担当し、男性はもっぱら力仕事を担当するというように、男女で仕事がふり分けられている、と。

避難所運営でも、性別役割分業が起きてしまっているんですね。

S・Nさん: それは誰かがふり分けたわけではなくて、自然になったんだそうです。でも、男性でも力仕事が苦手な人はいるし、女性でも力仕事が得意な人もいる。炊事も同じですよね。性別によって分けるのではなく適材適所で、震災時もそれぞれができることをしたほうがいい。日頃からコミュニティのなかでつながりを持ち、男女が対等に話し合える環境を築くことが大切だと感じました。

 

あと、実際に仮設住宅の中を見せていただいたのですが、仮設住宅が“家事をしない男性の目線”でつくられている、という声も聞きました。たとえば、ベランダに目隠しがなくて洗濯物が丸見えになってしまう。物干し竿の位置も高くて踏み台を使わないと干せない。台所の作業台もまな板が置けるか置けないかぐらいの狭さで料理がしづらい……。避難所だけではなく仮設住宅の設計でも、さまざまな問題があると知りました。

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防災の意識が、被害を抑える「減災」につながる。

J・Kさんの「GOOD GOODS」は、どのような活動をされてきたのでしょうか。

J・Kさん:まず、自分のコミュニティを知ることからが大事だと考えて、芦屋市防災安全課に行き、芦屋市の防災対策についてお話を伺いました。
芦屋市が実施している防災イベントにも参加しました。芦屋市はためになる防災イベントを開いているんですが、参加者が少なくて、かつ高齢の男性の姿が目立ちました。女性や若者、子どもたちがもっと参加するようになるといいのですが……。
また、同世代の意見を聞くため、関西学院大学で防災について学んでいるゼミ生たちと交流し、「阪神・淡路大震災を経験していない世代としてできること」について意見交換を行いました。それぞれにさまざまな研究テーマや問題意識があり、新たなアイデアや視点を知ることで価値観を広げることができたと思います。

防災学習のための「ゲームづくり」の観点からも取材をされたのですか?

J・Kさん:はい。最初にゲームプラン案を考え、防災プロデューサーである永田宏和さんに見ていただきました。すると、永田さんは「シンプルにテーマはひとつに絞り、何を伝えたいのかを考えましょう」とアドバイスしてくださいました。そのアドバイスをもとにゲームプラン案を修正。適切な備えのもと自宅で避難生活を送る「在宅避難」というテーマに絞ったカードゲームをつくることにしました。

大学生の私たちが語り継ぐ、震災の記憶
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防災プロデューサー・永田さんとの打ち合わせを経て、ゲーム内容をブラッシュアップ

在宅避難をゲームのテーマに選んだのはなぜなのでしょう。

J・Kさん:芦屋市には在宅避難したいと考える人が多いのではないか、と思ったからです。あと、何より伝えたいと考えたのは「防災・減災」がいかに大事かということ。防災の意識をもっていることによって、被害を最小限に抑える「減災」ができるからです。防災教育ができていれば、何らかの災害が起こったとき、勇気をもって立ち向かえる。そう信じています。

ゲームを通じて普段の日常生活から防災・減災のための知識を高めてほしい。そして、一緒に遊ぶことで親と子どもたちが交流もできるという、そういうゲームができたらいいなと思っています。

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ということは、カードゲームは鋭意制作中?

J・Kさん:そうなんです。永田さんからは、ゲーム会社のプロの方でも制作には最低1年以上はかかるものだと言われて……。今のチームは私ひとりだけなので、興味のある甲南女子大生にぜひ参加してもらって、一緒にゲームをつくりたいです!

阪神・淡路、そして能登半島の経験を「伝える」ということ。

3つのチームとも、たくさんの人たちの声を聞く活動をされてきたことがよくわかりました。 阪神・淡路大地震、そして能登半島地震で被災した珠洲市で話を聞くという体験によって感じた課題はありましたか?

S・Nさん:私のチームでテーマにした女性の問題に関しては、阪神・淡路大震災のときよりも進んできてはいるのかな、と思いました。お話を伺っていくなかで、30年前にはテレビでも報道されなかったことが今は報道され、どんな問題があるのかという認識もちょっとずつ広がっていっているのだなと感じました。
ただ、たとえば性被害を受けた方が声を上げられないという問題は、依然として強くあります。被害に遭われた方の支援体制を整えていくことはもちろんですが、災害時だけではなく平時から、被害が起きない社会、声をあげられる社会をつくっていくためにどうすればいいかを考えていかなくてはいけないと思います。

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甲南女子大学のキャンパスから望む、神戸の街
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阪神・淡路大震災で被害を受けた、甲南女子学園

問題は災害時だけではなく、常日頃の社会から問わなくてはいけないということですよね。 では最後に、今回のプロジェクトに参加して、自分のなかで変わった点、大事にしていこうと考えるようになった点などがあれば、ぜひ聞かせてください。

J・Kさん:これまでは「防災について考えるのは政府や自治体の仕事だ」という意識があったのですが、今は、自分のこと、みんなのこととして考えるようになりました。まず、私のできる防災、自分の家の防災から始めること。それが広がっていけば、地域も強くなります。
もちろん、防災は個々人だけの問題ではありません。政府や自治体は災害対応や防災に力を入れて、市民もできることをする。その両輪があってこそ、防災力は高まっていくのだと思います。

S・Nさん:私は「伝えていくことの価値」について考える機会になりました。今回のプロジェクトについて、私たちの力で全国の人に情報を届けるというのは無理に近いことだと思っているのですが、たとえばInstagramで情報発信をしていくなかで少しずつフォローしてくれる人が増えていったように、ちょっとずつでも輪を広げられるように伝え続けていくことが大事なんだなって、あらためて感じています。

M・Kさん:これまでの取材を通して感じていたことがあるんですが、それは「どうして学生の私たちに、みなさんこんなに話してくださるのかな」ということだったんです。拙い私たちに真剣に向き合い、真摯にたくさんのお話をしてくださる。とてもありがたいことだけど、なぜなのだろう……そう思ったとき、気づいたことは「期待してくれているからではないか」ということでした。
阪神・淡路大震災を体験していない私たちにバトンをつなぎたい。能登半島の体験を活かす方法を考えてほしい。そんなふうにみなさんが私たちに期待してくださったからこそ、お話していただけたのかなって。そうやって信頼してくださったことに応えるためにも、私たちから行動していく。そのことがとても大事だし、聞かせてくださったお話を大切にしながら伝えていこうと思いました。

まさに「つなぐ・伝える」ですね。みなさんの活動をまとめた番組は1月末の放送とのことですが、それも楽しみにしています!

プロジェクトで制作した防災番組の視聴はこちら(YouTubeへ)

日本語日本文化学科についてはこちら(大学公式サイトへ)

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